社長からの手紙

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シーズン9|1970年 1月組織再建全国長征、長征軍隊長・2月政治局北朝鮮方針に反対、反対派多数戦線離脱・3月15日最後の逮捕

2025.07.01 2025.08.24

1970年は、1月16日の御茶ノ水全電通会館での「武装蜂起集会」から始まった。当時は、結党時7名いた政治局員のうち3名が逮捕され、1名は事情不明だったため、塩見、田宮と高原の3人しかおらず、組織の立て直しを計らなければならなかった。もともと赤軍派は、関西ブントが母胎で、7人の政治局員のうち6名が関西ブント、関西ブント以外は早大の花園だけという構成で成り立っていた。

したがって、1969年11月5日以降は、関西ブント系の3人の政治局員が仕切っていたはずであるが、高原が何をやっていたのか、会う機会が殆どなかったので分からない。私は赤軍派結党に盾を衝いた、いわゆる外様の人間で、信用があったとは思えないが人材が枯渇していた当時の状況もあって、中央人民組織委員会のメンバーになるよう指示された。赤軍派は政治局の下に、中央人民組織委員会(CPO)と中央軍事組織委員会(CAO)があり、軍事部門であるCAOの責任者は、結党時から田宮高麿、後によど号ハイジャックを実行した男である。CAOは軍事担当の秘密機関で、少人数でメンバーが誰なのか、何をやっているのか等具体的なことは何も分からなかった。

後に赤軍派(田宮など)にハイジャックされた、よど号

中央人民組織委員会(CPO)の最大課題は、基盤人材の獲得!これが至上命令だった。最も可能性があるのが、東大安田講堂戦で保釈されたメンバーであり、全国の大学に潜在するブント系活動家とその予備軍だ。手許の人材を全国の大学に派遣し人材を獲得する全国長征をやった。毛沢東の長征をイメージして勝手に長征軍と呼称した。私が隊長に指名されたため70年方針の宣伝文を私が書いた。方針は70年秋前段階蜂起と国際根拠地建設であった。作戦名は不死鳥作戦、私が勝手に付けたものである。

70年秋に武装蜂起する?可能性は限りなくゼロに近い。しかし私たちには希望があった。キューバとの話が付いていたのである。当時のキューバ大使の名前も覚えている。

2月に入ると、長征軍を北大、小樽商大、東北大、京大、阪大、九大等に派遣した。私は大阪、京都を担当した。阪大、近大、桃山学院にも行った。しかし大学が休みに入っていることもあって、成果は殆ど上がらなかった。そうした事情もあって2月下旬いったん長征軍を東京に呼び戻した。

この頃だったと思う。仲間と会った時、政治局がハイジャックとか、北朝鮮を考えているらしいという話を聞いた。ハイジャックという戦術は、当時パレスチナ民族解放戦線(PFLP)が、好んで使っていた戦術である。週刊誌の表紙にも、PFLPの美人ゲリラであるライラ・ハレドの写真が載っていて、アラブはスゴイなくらいには思っていた。

しかし、北朝鮮が問題だった。「どこから北朝鮮が出てくるんだ?!」というのが、ほとんどの赤軍派メンバーの反応だった。私は、「北朝鮮に行ったら、その場で銃殺されるか、良くても、一生強制収容所にぶち込まれるぞ!」そう言ったことを覚えている。当時の北朝鮮は、スターリン時代のソ連で教育を受けた金日成が38度線以北を占領統治しており、鉄のカーテンの向こうで何が行われているのか全く分からない、暗黒のスターリン主義国家と映っていたからである。

「第三の道」派を目指していたはずの赤軍派が、どういう理由で北朝鮮なのか?大混乱が始まった。拠って立つ政治路線の大転換だからである。私を含め、多くのメンバ-が、政治局の北朝鮮方針に疑義を唱え、戦線を離脱するメンバーが続出した。連絡方法も限られ一堂に集まることもできなかったため、誰がどのように考えていたか殆ど分からない。しかし、赤軍派は確実に方向を見失い崩壊を始めていたのである。

3月上旬、私は、部隊を連れて再度京都に入った。別の任務を言い渡されたからである。その任務は、乗り気がしなかったので事実上サボタージュした。

3月12日だったと思う、政治局から部隊を連れて東京に戻れとの連絡が来た。3月13日に東京に戻り、3月14日、塩見に呼ばれ駒込の喫茶店に行き、その日は田端のアジトに塩見、田宮と私の3人で泊まった。そこは、京大ブントでも名の通った活動家の住居で、そのアジトを一週間も使っているという。元々危険な所に一週間もいるなんてヤバイ、このアジトを使うのは今日が最後にすべきだと主張した。

翌3月15日、田宮は用事があると言って早朝に田端のアジトを出た。何の用事だったかは分からない。昼前頃だったと思う。塩見と私がアジトを出た。このアジトがバレている可能性があることを半分予測しつゝタクシーに乗った。予測は的中した。しばらく行った所で、尾行されていることに気が付いた。

タクシーを急停車させ、ドアを蹴破って逃げようと思った。しかし、駒込駅前の交番前で乗っていたタクシーが挟み撃ちにされ、塩見と私が逮捕された。これが私の最後の逮捕となった。私が21歳11ヶ月、22歳の誕生日の前日のことであった。今から54年前のことである。

今から考えると、この時、なぜ田宮は早朝にアジトを出て、塩見と私が残されたのか。そのアジトは、一週間も続けて使っているということだったので、公安が当然マークしているであろうことは容易に想像できた。塩見の警戒心の無さは並はずれていたが、逮捕されたのが、なぜ塩見と私だったのかが解せない。普通だったら、塩見と田宮を狙う筈である。塩見と田宮は、赤軍派結党時からの政治局員で、誰が見てもナンバー1とナンバー2だった。

しかし、私は赤軍派に盾を衝いた張本人で後から合流した外様である。公安は田端のアジトを少なくとも前夜から見張っていたはずなので、早朝、出て行った田宮は何故見逃され、なぜ残った塩見と私が逮捕されたのか?

偶然かもしれないが、消えない疑問である。もし、この時逮捕されたのが、塩見と田宮で、私が逮捕されずに残ったとしたら、よど号ハイジャックは間違いなく起こらなかった。歴史が変わっていたはずなのである。

私が、可能性として強いと思うのは、公安当局は潜入スパイか、いずれかからの情報として、赤軍派の北朝鮮ハイジャック計画を知っていて、やらせたのではないか?そうすれば赤軍派を一挙に殲滅できる、そう考えたのではないか? 何故、このようなことが言えるか?いつ放映された番組だったか正確な記憶はないが、TVでよど号ハイジャックの特集番組が組まれ、当時の韓国KCIAの責任者が登場し、金浦空港へ偽装誘導した詳細が報じられた番組があった。

韓国KCIAは、福岡空港を飛び立ったよど号が38度線を北に超えたところで、非常周波数帯の無線で「こちらピョンヤン、こちらピョンヤン」と呼び掛け、38度線をUターンさせ、韓国金浦空港に偽装着陸させた経緯を詳細に報じていたのである。

実際、ピョンヤンと誘導されて降り立った空港には、チマチョゴリを着た女性たちが、北朝鮮の国旗を振って笑顔で出迎えていた。しかし実行部隊の東大の小西が、空港の端にユナイテッド航空機が留まっていることに気付き、機体近くにいた兵士に尋ねたという 「Is Here Pyongyang?」「N キンポ oGimpo!」偽装が発覚した。

この会話ができていなかったら、よど号ハイジャックはここで終わっていたはずである。乗客乗員は全員無事解放され、9人のハイジャッカーだけが逮捕され身柄を拘束されていたはずである。永久に証明されることはないが、韓国KCIAの単独犯行か、日本の内調・警察庁公安と韓国KCIAの共同作戦だったのか、もしかしたら防衛庁秘密諜報機関の別班も絡んでいたかもしれない。

駒込駅前で逮捕された私は警視庁に身柄を拘束された。直接の容疑は、逮捕されたとき登山ナイフを所持していたという銃刀法違反である。護身用で持っていたものである。

取調担当のデカは、最初は、私が誰であるか分からないようで、拍子抜けしたが、代わりにやって来たデカが私のことを良く知っていた。「よー!ユー坊じゃねえか」、以前逮捕された時、私を取り調べたデカである。確か高橋という名前だった。赤軍派専門担当のようで詳しかった。過酷な取り調べが始まり、公安が何をどこまで知っているのか観察しながら黙秘していた。しかし逮捕は屈辱だったが、何の希望もなく、何もかもの糸が切れていく蹉跌を感じていた。

シリーズ目次

プロローグ
はじめに
シーズン1:1947年  
敗戦、帰還船、ビルマの竪琴
シーズン2:1960年  
60年安保、チボー家の人々
シーズン3:1962年  
松本深志高校、剣道、キューバ危機、宿題がマルクス、「渚にて」強行上映
シーズン4:1965年 
青雲の志 中央大学 学生運動
シーズン5:1966年
自治会委員長、全中闘委員長、全国初学生単独管理学生会館要求バリスト
シーズン6:1967年 
佐藤首相ベトナム訪問阻止羽田空港突入!中大学費値上げ白紙撤回バリスト
シーズン7:1968年
新東京国際空港:成田は経済効率最悪/豊穣農地破壊! 東京湾上に作れ!
成田空港公団突入総指揮/逮捕、防衛庁突入総指揮/逮捕
シーズン8:1969年
6月保釈出所、7月共産主義者同盟分裂:赤軍派を除名
7月共産主義者同盟学対部長、9月共産主義者同盟離脱/赤軍派に合流
11月武装蜂起部隊全員逮捕、主力部隊壊滅
シーズン9:1970年
1月中央人民組織委員会委員長、基盤人材獲得全国長征/長征軍隊長
2月政治局北朝鮮方針に反対
反対派多数戦線離脱、3月15日最後の逮捕
シーズン10:1970年
3月31日よど号ハイジャック発生!
逮捕、「不起訴の約束」は反故、起訴、投獄
シーズン11:1971年
獄中への一通の手紙
シーズン12:1984年
最高裁で謀議当日のアリバイが証明された。しかし判決は有罪、下獄
監獄改革、獄中の狂詩曲
■ シーズン13:1989年
早期仮釈放嘆願10万人署名/仮釈放内示、大韓航空機爆破事件(金賢姫)発生
仮釈放取消、プリズン留学12年満期出所、松本帰還
■ エピローグ