社長からの手紙

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シーズン1|1947年 敗戦、帰還船、ビルマの竪琴

2022.02.24 2024.12.15

1947年。私は、山深い信州松本の小さな自動車部品商店の長男として生まれた。駅前には木炭車が走り、至る所に傷痍軍人の姿があった。ラジオからは、雑音交じりで、満州からの引き揚げ船が舞鶴に入港したとのニュースが連日のように聞こえていた。

小学校は、文明開化の洋風学校建築として知られる高楼のある開智小学校に入学した。当時は重要文化財だったが、近年 国宝に指定された。
昼食はコッペパンと脱脂粉乳。私は脱脂粉乳が好きで、脱脂粉乳が苦手な女子のぶんも毎日飲んでいた。アルミの深皿で飲んだ記憶がある。後に知ったが、あの脱脂粉乳は、食糧のない焼け跡の時代、米軍の払い下げとして全国の小学校に配給されていたものだったらしい。マッカーサーに食わせてもらっていたことになるが、貧しかったあの頃では希望の味がした。

当時、学年に1クラス、養護学級というクラスがあった。病弱など何らかの配慮を必要とする児童のクラスで、彼らの昼食には脱脂粉乳のほかに肝油が配られていた。
あるとき、養護学級のクラスと一緒に昼食をいただく機会があり、そのクラスの女子が「私は嫌いだから」と言ったので、肝油をもらって食べたことがあった。栄養があるとは聞いていたが、初めてなので恐る恐る口にした。魚にザクロと醤油を入れたような奇妙な味だった。イナゴ、サナギの方が余程おいしかった。魚肉ソーセージも異国の味のようで好きだった。でも、山に行って自分で採って食べたグミやアケビが最高だった。

開智小学校の2年生の頃だったと思う。小学校の映画鑑賞で、ディズニーの「ピーターパン」を観に行った。灰色の時代だったから鮮烈だった。「ピーターパン」が終わったら、「第5福竜丸」の被ばくのニュースが流れた。アメリカが強行した西太平洋ビキニ環礁の水爆実験の映像である。近くで操業していた日本の第5福竜丸が被ばくし、死の灰で船員が死亡したニュースだった。身近に沢山の傷痍軍人を見ていた私は、強烈な衝撃を受けた。

その少しあとだったと思う。父が映画を観に行こうと言って、ちょうど遊びにきていた従妹と一緒に映画館へ行ったことがあった。題名は  「ビルマの竪琴」、原作は竹山 道夫、監督は市川 崑、主演は安井 昌二。後に白骨街道と言われ、最も過酷で悲惨な飢餓と死の行軍がなされたインパール作戦の物語である。

最前線の銃弾飛び交う戦闘現場で、突然「埴生の宿」の歌声が聞こえてくる。それが、やがて日英両軍の合唱となり、戦闘が一時中断された。「埴生の宿」はスコットランド民謡なので、イギリスの兵士たちもよく知っていたのである。この映像は衝撃だった。敗戦が決まって部隊は投降したが、水島上等兵は一人部隊を離れ、戦死した仲間を弔うために僧侶となってビルマに残った。僧侶姿となった水島上等兵の映像は少年の心を打った。父は、私がそこまで感じていたことに気付かなかったと思うが、私には、その後の人生を考える原点になったように感じる。

私は、その頃まで、近くのお寺の境内で野球チームをつくり、毎日のように野球をしていた。バットは木を削って作った、当然ゴツゴツしていた。まともなグローブもなかった。ボールは糸を巻いて作った。そんな時代ではあったがおもしろかった。時にはビー玉やメンコもやった。

私の家の前に本屋さんがあった。良く漫画本などを立ち読みした。銭湯の近くに貸本屋さんがあったので、時々は「鉄腕アトム」など借りて読んだが、子遣いが少なかったので続かなかった。小学校4年になった時だと思う、担当の先生が学校の図書館に案内してくれた。本が読める年齢になったということだろう。よく借りて読んだ。その中で最も印象を受けたのがジュール・ヴェルヌの「十五少年漂流記」だった。子供たちだけが乗った船が海に流され漂流してしまう。十五人の少年達が知恵を絞り、生き抜く姿に震えるものを感じた。2年後無事帰還した時の感動は今でも忘れない。海という未知なるものへの強い憧れが沸き上がった。

内気な少年時代

小学校5年生のときには、弟が「少年少女世界文学全集」を買ってもらうことになり、毎月一冊づつ送られてきた。誰も信じないかもしれないが、私は、当時、引っ込み思案で、無口で、どうしようもないほど内気で、自閉症と言っても良いほどの子供だった。親からも親戚からも見放されていた。

だからこそだったかもしれない。文学全集が届くのを私は楽しみにしていた。親の目を盗み、弟が読む前に読んでしまうのである。今から思うと、この頃から、何かしらの不条理への反抗心が芽生えていたのかもしれない。

小学校6年生の就学旅行で伊勢志摩に行った。
鳥羽で初めて海を見た。その時、「十五少年漂流記」の記憶と、多分、鬱屈した感情を解放したかったのだろう、私は、クイーンエリザベスの船長になりたいと思った。7つの海を自由に航海し、コロンブスのような生き方をしたいと思った。

(つづく)

シリーズ目次

前田祐一
                                               
プロローグ
はじめに
シーズン1:1947年  
敗戦、帰還船、ビルマの竪琴
シーズン2:1960年  
60年安保、チボー家の人々
シーズン3:1962年  
松本深志高校、剣道、キューバ危機、宿題がマルクス、「渚にて」強行上映
シーズン4:1965年 
青雲の志 中央大学 学生運動
■ シーズン5:1966年 
自治会委員長、全中闘委員長、全国初学生単独管理学生会館要求バリスト
■ シーズン6:1967年 
佐藤首相ベトナム訪問阻止羽田空港突入!中大学費値上げ白紙撤回バリスト
■ シーズン7:1968年
新東京国際空港:成田は経済効率最悪/豊穣農地破壊! 東京湾上に作れ!
成田空港公団突入総指揮/逮捕、防衛庁突入総指揮/逮捕
■ シーズン8:1969年
6月保釈出所、7月共産主義者同盟分裂:赤軍派を除名
7月共産主義者同盟学対部長、9月共産主義者同盟離脱/赤軍派に合流
11月武装蜂起部隊全員逮捕、主力部隊壊滅
■ シーズン9:1970年
1月中央人民組織委員会委員長、基盤人材獲得全国長征/長征軍隊長
2月政治局北朝鮮方針に反対
反対派多数戦線離脱、3月15日最後の逮捕
■ シーズン10:1970年
3月31日よど号ハイジャック発生!
逮捕、「不起訴の約束」は反故、起訴、投獄
■ シーズン11:1971年
獄中への一通の手紙
■ シーズン12:1984年
最高裁で謀議当日のアリバイが証明された。しかし判決は有罪、下獄
監獄改革、獄中の狂詩曲
■ シーズン13:1989年
早期仮釈放嘆願10万人署名/仮釈放内示、大韓航空機爆破事件(金賢姫)発生
仮釈放取消、プリズン留学12年満期出所、松本帰還
■ エピローグ