社長からの手紙

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シーズン1|1947年 敗戦、帰還船、ビルマの竪琴

2022.02.24 2024.04.17

1947年 敗戦、帰還船、ビルマの竪琴

1947年。私は、山深い信州松本の小さな自動車部品商店の長男として生まれた。駅前には木炭車が走り、至る所に傷痍軍人の姿があった。ラジオからは、雑音交じりで、満州からの引き揚げ船が舞鶴に入港したとのニュースが連日のように聞こえていた。小学校は、文明開化の洋風学校建築として知られる高楼のある開智小学校に入学した。当時は重要文化財だったが、近年、国宝に指定された。昼食はコッペパンと脱脂粉乳。私は脱脂粉乳が好きで、脱脂粉乳が苦手な女子のぶんも毎日飲んでいた。アルミの深皿で飲んだ記憶がある。

後に知ったことだが、あの脱脂粉乳は、食糧のない焼け跡の時代、米軍の払い下げとして全国の小学校に配給されていたものだったらしい。マッカーサーに食わせてもらっていたことになるが、貧しかったあの時代では希望の味がした。

当時、学年に1クラス、養護学級というクラスがあった。病弱など何らかの配慮を必要とする児童のクラスで、彼らの昼食には脱脂粉乳のほかに肝油が配られていた。
あるとき、養護学級のクラスと一緒に昼食をいただく機会があり、そのクラスの女子が「私は嫌いだから」と言ったので、肝油をもらって食べたことがあった。栄養があるとは聞いていたが、初めてなので恐る恐る口にした。魚にザクロと醤油を入れたような奇妙な味だった。イナゴ、サナギの方が余程おいしかった。魚肉ソーセージも異国の味のようで好きだった。でも、山に行って自分で採って食べたグミやアケビが最高だった。

開智小学校の2年生の頃だったと思う。小学校の映画鑑賞で、ディズニーの「ピーターパン」を観に行った。灰色の時代だったから鮮烈だった。「ピーターパン」が終わったら、「第5福竜丸」の被ばくのニュースが流れた。アメリカが強行した西太平洋ビキニ環礁の水爆実験の映像である。近くで操業していた日本の第5福竜丸が被ばくし、死の灰で船員が死亡したニュースだった。身近に沢山の傷痍軍人を見ていた私は、強烈な衝撃を受けた。

その少しあとだったと思う。父が映画を観に行こうと言って、ちょうど遊びにきていた従妹と一緒に映画館へ行ったことがあった。題名は  「ビルマの竪琴」、原作は竹山 道夫、監督は市川 崑、主演は安井 昌二。後に白骨街道と言われ、最も過酷で悲惨な飢餓と死の行軍がなされたインパール作戦の物語である。最前線の銃弾飛び交う戦闘現場で、突然「埴生の宿」の歌声が聞こえてくる。それが、やがて日英両軍の合唱となり、戦闘が一時中断された。「埴生の宿」はスコットランド民謡なので、イギリスの兵士たちもよく知っていたのである。この映像は衝撃だった。敗戦が決まって部隊は投降したが、水島上等兵は一人部隊を離れ、戦死した仲間を弔うために僧侶となってビルマに残った。僧侶姿となった水島上等兵の映像は少年の心を打った。父は、私がそこまで感じていたことに気付かなかったと思うが、私には、その後の人生を考える原点になったように感じる。

私はその頃まで、近くのお寺の境内で野球チームをつくり、毎日のように野球をしていた。バットは木を削って作った。当然ゴツゴツしていた。まともなグローブもなかった。ボールは糸を巻いて作った。そんな時代ではあったがおもしろかった。時にはビー玉やメンコもやり、とても楽しかったことを覚えている。

また、私の家の前に本屋さんがあった。よく漫画本などを立ち読みした。銭湯の近くに貸本屋さんがあったので、時々は「鉄腕アトム」などを借りて読んだが、お金がかかるのでそれ以上は諦めた。しかし小学校4年生になったときだと思う、担当の先生が学校の図書館に案内してくれた。本が読める年齢になったということだろう。よく借りて読んだ。その中で最も印象を受けたのがジュール・ヴェルヌの「十五少年漂流記」だった。船が海に流され、子供たちだけで漂流してしまう。何とか海辺にたどり着いたが、島なのか陸地なのかも判らない。少年たちは、生きるために知恵を絞り、リーダーを選び、生き抜いて、2年後に無事帰還した。感動を覚えた。海という未知なるものへの強い憧れが沸き上がった。

内気な少年時代

小学校5年生のときには、弟が「少年少女世界文学全集」を買ってもらうことになり、毎月一冊づつ送られてきた。誰も信じないかもしれないが、私は、当時、引っ込み思案で、無口で、どうしようもないほど内気で、自閉症と言っても良いほどの子供だった。親からも親戚からも見放されていた。

だからこそだったかもしれない。文学全集が届くのを私は楽しみにしていた。親の目を盗み、弟が読む前に読んでしまうのである。今から思うと、この頃から、何かしらの不条理への反抗心が芽生えていたのかもしれない。

小学校6年生の就学旅行で伊勢志摩に行った。
鳥羽で初めて海を見た。その時、「十五少年漂流記」の記憶と、多分、鬱屈した感情を解放したかったのだろう、私は、クイーンエリザベスの船長になりたいと思った。7つの海を自由に航海し、コロンブスのような生き方をしたいと思った。

シリーズ目次

プロローグ
はじめに
シーズン1:1947年  
敗戦、帰還船、ビルマの竪琴
シーズン2:1960年  
60年安保、チボー家の人々
■ シーズン3:1962年 
松本深志高校、格闘家型剣道、宿題はマルクス、「渚にて」強行上映
シーズン4:1965年 
青雲の志 中央大学 学生運動
■ シーズン5:1966年 
全中闘委員長、全国初学生単独管理学生会館獲得
シーズン6:1967年 
成田空港公団現地事務所 突入総指揮、羽田
シーズン7:1968年
中大学費値上げ白紙撤回、10.21防衛庁突入
シーズン8:1969年
赤軍派に参画
シーズン9:1970年
3月31日よど号ハイジャック「 北朝鮮?!」
■ シーズン10:1970年
北朝鮮行きに反対した私が共同正犯/黒幕として起訴された。
謀議に参加しておらずアリバイもあったため裁判闘争スタート
■ シーズン11:1975年
獄中への一通の手紙
■ シーズン12:1984年
高裁、最高裁で謀議当日の私のアリバイは認められるも有罪判決確定。
プリズン留学12年、刑務所改革、提案制度、
房内所持書籍10冊・ノート3冊権獲得
■ シーズン13:1987年
早期仮釈放嘆願10万人署名 仮釈放内示、
大韓航空機爆破事件仮釈放取消
■ シーズン14:1989年
満期出所、友人たちがバスで出迎え、松本帰還
■ エピローグ