社長からの手紙

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シーズン3|1962年 松本深志高校、必殺剣道、宿題はマルクス、「渚にて」強行上映

2024.04.10 2024.05.31

高校は、先生が「行け!」というので、地元の松本深志高校に進んだ。どういう高校が良いのか、良く知らないままに受験したら受かっただけのことだったが、深志高校は、バンカラで強烈に泥くさい高校で、戦前は松本城の城郭の中に校舎があったということもあり、サムライ魂が色濃く残る特異な高校であった。「自治/自立」が、他と区別される深志生のアイデンティティとされており、7人のサムライを地で行くようなユニークな面々が多くて新鮮だった。ワンダーでバンカラ、不正、不条理への義憤、未知への探求心、少年期とは違う世界が待っていた。

60年安保改定に際して、深志高校生は全員が安保条約反対のデモに参加した。そのことが深志生の誇り高きアイデンティティーのように語り継がれ、後輩である我々も先輩たちの志を受け継ぎ、時代をウォッチし、自立の精神を養えと叩き込まれた。入学すると、まず校歌、応援歌を覚えさせられた。応援団がインストラクター役で、うす汚れたマントを着て、ほら貝を吹き、新入生を鼓舞し扇動した。女子生徒が何故か輝いて見え、異次元の空間に離陸したかのような眩暈を感じた。

問題は部活である。私はスポーツが好きだったが、身長も高くないし、運動神経が良い方でもなかったが。しかし何故か、格闘技には自信があった。格闘は気持ちが強い方が勝つからである。世の中に対する義憤が人一倍強かったが、内気で自分を表現する方法を知らなかったため、ここで壁を打ち破ってやろうと意識していた。最初は、相撲部に入ろうかと考えた。従兄が相撲部のキャプテンをやっていたからである。しかし、フンドシ姿を想像すると相撲部は消えた。

子供の頃、ラジオで赤胴鈴之介や矢車剣之介をやっていた。それと、やはり当時ラジオでやっていた徳川夢声の「宮本武蔵」が影響したのかもしれない、剣道部を選択した。

剣道は、私を解放した。人間関係への鬱憤も、視えない権力への反抗心も、全てを竹刀一本に叩きつけた。無口で内気だった自分が、強く変身していくのを感じていた。技らしいものは、ほとんどない。しかし、ほとばしる迫力と必殺特攻の攻撃が試合で通用した。審判の「はじめ!」の声が終わらぬうちに、相手に体当たりし場外に吹き飛ばした。3回の場外で一本、決闘を想定しているからである。しかし、場外に吹き飛ばされた相手は、恐怖でスキだらけになる。こちらの勝ちである。

2年の夏合宿からキャプテンになったが、高校剣道では個人戦の他に団体戦があり、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の5人で闘う。松本深志高校の剣道部は、指導する部長や監督はいなかったため練習方法も時代遅れで、強い選手が少なかった。だから、団体戦では、先鋒から副将まで4人が負ける悪夢が続いた。しかし大将である私は負ける訳にはいかなかった。私の剣道は剣先の魔術と恐怖威圧による必殺特攻が武器で、剣道という道を大きく外れたものだったが、試合本番では強かった。桶狭間で今川義元の首を取ることを常に想定していた。県大会で優勝し、掲示板に「剣道部優勝」と大書すると、最初は誰も信じなかった。松商学園にも飯山北高にも勝ったのである。そうした実績を引っ提げて、勝ちもしない野球部に運動部予算の大半が集中している実態にクレームを付け、剣道部の防具予算を分捕った。

秋になると学園祭の「とんぼ祭」が開催された。素敵な女子生徒とすれ違った。何故か私に向かってサインのようなアクションをした。相手は私のことを知っているようにも思えたが、名前も分からない。2年に進学したら同じクラスにその子がいた。グレイスケリーに似た清楚な美しさが今でも忘れられない。後に、楽団を組み、タイの軍事政権に反対し、民衆音楽を広める活動に関わっていたことを本人から聞いた。松本で開かれた演奏会にも2回参加した。

2年の夏休みに宿題が出た。〝マルクスを2冊読んで感想文を提出しろ!〟 私は、当時マルクスについてほとんど何も知らなかったが、前年にキューバ危機があり、一つ間違えば米ソ正面衝突の危機が世界を震撼させていた。だから、マルクスを勉強しておけという学校の教育的配慮であったかもしれない。

何を読んだかは正確には覚えていないが、「共産党宣言」と「賃労働と資本」だったと思う。読んでも理解できたとは到底言えなかった。どんな感想文を書いたかも全く思い出せない。それでも、社会政治思想の世界を知るきっかけになったと思う。その後、哲学研究会のメンバーと何回か話もしたが、これだと思うような思想や哲学に辿り着くことはなかった。ただ、深志高校の3年間は、その後の人生の脈動の出発点になったことは確かである。

高校3年の夏だったと思う。映画研究会に入っていた友人たちが「渚にて」という映画上映に奔走しているという情報が入った。その映画を文部省が上映禁止にしたというのである。
「渚にて」英語タイトルはOn The Beach。時は1964年。第三次世界大戦が勃発し、核爆弾の放射線で北半球の人々の大半は死滅した。深海潜行中であったため生き残ったアメリカ海軍の原潜スコーピオン号は南半球のオーストラリア・メルボルンへ逃げ込む。そこでは多くの市民が普通の日常を送っていたが、汚染の南下が確認されて人類滅亡が避けられないことが判明する。多くの市民はスコーピオン号を自沈させることを選択して人類は滅亡する。 

主演はグレゴリーペックとエバガードナー。なぜ文部省が上映禁止にしたのか、むしろ、第三次世界大戦を回避するための教材として推奨し、警鐘を鳴らす機会にすべきだったのにと思う。深志映研は、文部省に抗って強行上映に踏み切ったのである。

「渚にて」のテーマ音楽として流れていた曲が、ワルツィングマチルダである。オーストラリア民謡で、オーストラリア人は、このワルツィングマチルダを国歌よりもよく歌う。この時からおよそ50年後、私は、ロータリークラブの青少年育成プログラムで、長野県の高校生10数人をシドニー郊外の老人ホームに引率案内したことがある。その折り、私からの事前の提案であったが、オーストラリアの老人ホームで生活している老人たちと日本の高校生がワルツィングマチルダを合唱した。私は、50年前の人類滅亡の危機を描いた「渚にて」の映像を思い起こしながら、何一つ解決されていない人類史の現状に、敗北と義憤を感じ自分を叱咤しながら歌った。

※「ワルツィングマチルダ」は、オーストラリア民謡。原題は「Waltzing Matilda」、スコットランドの「Thou Bonnie Wood Of Craigielea」が原曲

(つづく)

シリーズ目次

                               
プロローグ
はじめに
シーズン1:1947年  
敗戦、帰還船、ビルマの竪琴
シーズン2:1960年  
60年安保、チボー家の人々
シーズン3:1962年  
松本深志高校、剣道、キューバ危機、宿題がマルクス、「渚にて」強行上映
シーズン4:1965年 
青雲の志 中央大学 学生運動
■ シーズン5:1966年 
自治会委員長、全中闘委員長
全国初学生自主管理学生会館要求バリスト勝利
■ シーズン6:1967年 
佐藤首相ベトナム訪問阻止羽田空港突入
中大学費値上げ白紙撤回バリスト勝利
■ シーズン7:1968年
新東京国際空港:成田は不合理、東京湾上に作るべき!
空港公団突入総指揮、防衛庁突入総指揮
巣鴨プリズン:ボールペン、ノート舎房内使用要求ハンスト獲得
■ シーズン8:1969年
6月保釈出所、7月赤軍派分裂、共産主義者同盟学生最高責任者(学対部長)
9月共産主義者同盟離脱、赤軍派へ、11月武装蜂起部隊全員逮捕
■ シーズン9:1970年
1月中央人民組織委員会委員長、全国長征:長征軍隊長
2月政治局北朝鮮方針に反対、北朝鮮反対派多数戦線離脱
3月15日別件逮捕
■ シーズン10:1970年
3月31日ハイジャック発生!
黒幕?として起訴、長期拘留、獄中への一通の手紙
■ シーズン11:1984年
最高裁で謀議当日のアリバイが証明
しかし判決は有罪。長期投獄/監獄改革
■ シーズン12:1987年
早期仮釈放嘆願10万人署名、仮釈放内示
大韓航空機爆破(金賢姫)事件発生、仮釈放取消
■ シーズン13:1989年
プリズン留学12年、満期出所
友人たちがバスで出迎え松本帰還
■ エピローグ