社長からの手紙

上高地自動車TOP > 未完の自伝 > シーズン4|1965年 青雲の志、中央大学入学、学生運動

シーズン4|1965年 青雲の志、中央大学入学、学生運動

2024.04.11 2024.05.31

1965年4月。青雲の志を抱いて、私は東京御茶ノ水の中央大学に入学した。中学3年の修学旅行で銀座や浅草、横浜を見て、信州とは全く違う得体の知れない可能性を感じていたので、格別の目的もなく、青雲の志だけを抱いて、未知の東京に出たのである。

東京へは、中学で同級だった友人と自転車で上京した。なぜ自転車で行ったのか? それまで、田舎では、小学生から高校卒業まで自転車は唯一の交通手段で、何のためらいもなく自転車で東京に行くことにしたのである。山梨県の甲府で一泊し、勝沼、八王子を経て甲州街道を漕ぎ続け、暗くなって両国のアパートに着いた。3畳一間の狭い空間である。隣の部屋との仕切りは襖一枚で、喧嘩する声が聞こえてきたり、2階には派手な化粧のおばさんがいた。近くに相撲部屋があったこともあり、信州の田舎とは全く異なる、心の波長が狂うような異質さを感じていた。

翌日の入学式で、初めて大学キャンパスに行った。青雲の志を抱いて自転車で上京したほどだから、テンションは高かった。入学式での総長の挨拶は、司法試験や公認会計士、税理士試験は日本一、箱根駅伝6連覇、優勝回数は断トツ1位…、といった決まり文句の余せ集めで感動がなかった。
ところが入学式の途中、後ろで騒がしい声が聞こえた。学費がどうとかと聞こえたが、よく分からない。形ばかりの入学式が終わり、中庭で部活の紹介をやっているから行けという指示があった。運動部や文化、学術、多くの部活がブースを構えてプレゼンしていた。

剣道部、自動車部など気になる部活については興味深く話を聞いた。そして人だかりのある場所へも行ってみると、その人たちは自治会で、私たちが入学した年に「一方的に授業料を値上げされた」と言うのである。ふいに「それなら、何故ストライキをやらないんだ?」と問うた私の一言が、自治会メンバーにとっては期待以上だったようだ。田舎から出てきた、ピュアで一見強そうにも見える印象も手伝ってか、くわしい話をしたいから自治会室に行こうという流れになった。
そして、私は入学式のその日から自治会室に泊まり込む極めて異常な学生生活を送ることになったのである。

何かが私を突き動かしていた。〝戦争を辞めろ!人殺しを辞めろ!〟 戦後の民主主義教育を受けて育った初心な焼跡の世代が、当然のこととして思ったことを表現し、まともな世の中にしたいと思って行動しただけのことなのだが。結果として、真面目過ぎたのか、麻雀も知らずボーリングも知らず、ほとんど遊ぶこともしない、24時間、世界の行末ばかりを考える青春を送ることになったのである。

1945年から始まる大戦後の時代は、核兵器を持った戦勝5ヵ国が国連常任理事国となり、東西体制間の世界再分割/核戦争の危機を孕んだ一触即発の時代であった。同時に民族独立解放運動の波が押し寄せ、1947年のインド独立を皮切りに、1949年の中華人民共和国成立、1951年の朝鮮戦争、1955年以降のベトナム解放戦争、1959年のキューバ革命、1960年日米安保改定、1962年キューバ危機、1963年ケネディ暗殺。私は、この東西体制間世界分割/米ソスパイ戦/核戦争危機の時代に学生生活を送っていたのである。MI6ジェームズボンド、CIA、KCIA、GPU、モサドも、この時代の産物である。あるいは、日本の別班も当然あったのだと思う。フィクションではあるが、ゴルゴ13も同時代の産物である。

戦後日本はポツダム宣言を受諾し、米軍GHQによる占領統治の時代が始まった。マッカーサーは誰をGHQ傀儡政権の首領にすべきかを考え、戦前に満州を牛耳っていた岸信介が相応しいと判断し、東京裁判にかけられていることを承知の上で、密約を取り交わして釈放し総理大臣に据えたのである。しかも、東条英機が巣鴨プリズンで絞首刑になった翌日にだ。日本は、アジアにおける資本主義の防波堤とするために使える(・・・)と判断されたのである。岸は、当然のこととして60年日米安保改定を強行し、密約を実行した。弟の佐藤栄作は、核の密約をひた隠しにして、米軍基地だらけの沖縄を本土復帰させ、米軍頼みの安全保障/日本列島核防衛線を構築したのである。この密約を暴露した毎日新聞の西山太吉記者は、裁判にかけられ投獄された。その後、密約の存在が明らかになったが、西山記者は、昨年他界した。国家が平気で嘘を言い、不都合な事実は隠蔽する。正しいことを言った者は投獄され、人権をズタズタに破壊され殺される。こんなことが、今の日本でも行われている。何をするために学問をしたのか? 不正と理不尽がまかり通っている、こんなことが許されるはずがない。

大学1年の12月には、学生自主管理による学生会館獲得のために、全学バリケードストライキを体験した。当時の中央大学は、水道橋の理工学部を除いて御茶ノ水の一画にキャンパスが集中していた。そこに4万人の学生が押し込まれ、大教室にも学生が入り切らない状態が続いていた。全国の大学でも最悪の環境であったと思う。

当然の権利として、我々は学生会館の建設を要求し、しかも、その学生会館を学生の自主管理によって管理運営したいと要望したのである。大学側は、当然のように拒否した。しかし、これまた当然のように学生は全学バリケード封鎖をもって応酬した。ほぼお祭りである。面白かった。1年後、私が全中闘委員長になって、それを実現するとは思ってもいなかった。人生は解らないものである。

(つづく)

シリーズ目次

                                               
プロローグ
はじめに
シーズン1:1947年  
敗戦、帰還船、ビルマの竪琴
シーズン2:1960年  
60年安保、チボー家の人々
シーズン3:1962年  
松本深志高校、剣道、キューバ危機、宿題がマルクス、「渚にて」強行上映
シーズン4:1965年 
青雲の志 中央大学 学生運動
■ シーズン5:1966年 
自治会委員長、全中闘委員長
全国初学生自主管理学生会館要求バリスト
■ シーズン6:1967年 
佐藤首相ベトナム訪問阻止羽田空港突入!
中大学費値上げ白紙撤回バリスト
■ シーズン7:1968年
新東京国際空港:成田は農地破壊/利便性最悪、新東京空港は東京湾上に作れ!
成田空港公団突入総指揮、逮捕
ベトナム戦争加担前線司令部・防衛庁突入総指揮、逮捕
■ シーズン8:1969年
6月保釈出所、7月赤軍派分裂、共産主義者同盟学生最高責任者(学対部長)
9月共産主義者同盟離脱、赤軍派へ、11月武装蜂起部隊全員逮捕
■ シーズン9:1970年
1月中央人民組織委員会委員長、全国長征:長征軍隊長
2月政治局北朝鮮方針に反対、北朝鮮反対派多数戦線離脱
3月15日別件逮捕
■ シーズン10:1970年
3月31日ハイジャック発生!黒幕?として起訴
1984年 最高裁で謀議当日のアリバイが証明されるも判決は有罪
■ シーズン11:1970年
~獄中への一通の手紙と監獄改革
■ シーズン12:1987年
早期仮釈放嘆願10万人署名、仮釈放内示
大韓航空機爆破(金賢姫)事件発生、仮釈放取消
■ シーズン13:1989年
プリズン留学12年、満期出所
友人たちがバスで出迎え松本帰還
■ エピローグ