私は、1965年に大学に入学し、不正と理不尽な世の中に憤慨し、青春の全てを学生運動に注ぎ込んだ。
2年の夏には自治会委員長、2年の12月には、全中闘委員長として全国で初めて学生単独管理の学生会館を獲得した。
3年のときには、大学が学費値上げをやるという情報を入手したので、総長宅に乗り込み、密かに大学の決算書を入手して、莫大な利益が出ているにも拘わらず学費を値上げするという、学生を食い物にする大学側の暴挙に憤慨。全学をバリケード封鎖し、白紙撤回を勝ち取った。
以降、ベトナム反戦、新東京国際空港成田建設反対闘争、防衛庁突入と東京都学連書記長、全学連書記局として最前線で闘った。
不正と理不尽が大手を振ってまかり通る世の中を糾弾し、撲滅しようと怪我だらけになって闘った。殺されかかったことも2回あった。2回とも死ななかったが、私は、戦争を忌避し、国の将来を憂え、何が正義なのかを訴え、たとえ、そのために死ぬことがあっても受け入れる反戦ピュアラジカルだった。
振り返って考えれば、1960年代の学生運動は、チボー家のジャックと同じ道を辿ろうとしていたのではないだろうか。
■ プロローグ はじめに |
■ シーズン1:1947年 敗戦、帰還船、ビルマの竪琴 |
■ シーズン2:1960年 60年安保、チボー家の人々 |
■ シーズン3:1962年 松本深志高校、格闘家型剣道、宿題はマルクス、「渚にて」強行上映 |
■ シーズン4:1965年 青雲の志 中央大学 学生運動 |
■ シーズン5:1966年 全中闘委員長、全国初学生単独管理学生会館獲得 |
■ シーズン6:1967年 成田空港公団現地事務所 突入総指揮、羽田 |
■ シーズン7:1968年 中大学費値上げ白紙撤回、10.21防衛庁突入 |
■ シーズン8:1969年 赤軍派に参画 |
■ シーズン9:1970年 3月31日よど号ハイジャック「 北朝鮮?!」 |
■ シーズン10:1970年 北朝鮮行きに反対した私が共同正犯/黒幕として起訴された。 謀議に参加しておらずアリバイもあったため裁判闘争スタート |
■ シーズン11:1975年 獄中への一通の手紙 |
■ シーズン12:1984年 高裁、最高裁で謀議当日の私のアリバイは認められるも有罪判決確定。 プリズン留学12年、刑務所改革、提案制度、 房内所持書籍10冊・ノート3冊権獲得 |
■ シーズン13:1987年 早期仮釈放嘆願10万人署名 仮釈放内示、 大韓航空機爆破事件仮釈放取消 |
■ シーズン14:1989年 満期出所、友人たちがバスで出迎え、松本帰還 |
■ エピローグ |