社長からの手紙

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シーズン2|1960年 60年安保、チボー家の人々

2022.02.25 2024.04.18

1960年 60年安保、チボー家の人々

中学は、松本平を一望できる丘の上の丸の内中学校に行った。入学した初めての授業、先生がいきなり黒板に書き始めた。「二十世紀のゴジラ」。自分の名前は「二十世紀のゴジラ」だと! 続けて大きな字で「白鳥は悲しからずや 空の青 海の青にも染まず漂う」と書いて、「これは、若山牧水の歌だ。お前たちは、この歌の意味が判るか?」と質問された。歌の意味は十分には理解できなかったが、朧げに、カモメは何物にも染まることなく生きている。お前たちもカモメのように何物にも染まることなく自分自身の道を見つけ生きろ!と言われているような気がした。

私たちの中学時代は、焼け跡の匂いが、なお色濃く残っていた時代だった。折しも、中学2年生の時、日米安保条約改定を巡り、日米安保条約を堅持すべきか否か、国論を二分する対立が発生していた。デモ隊が国会を包囲し、女子学生が殺されたとのニュースが報じられた。丸の内中学では昼休みに校内放送があり、生徒にも、しっかり聞くようにとの指導がされていた。その校内放送で安保改定をめぐるニュースが連日放送されていたのである。

そうした混乱の時期、先生が、伊那の中学に赴任していたときの教え子から電話がかかってきたと言って話をされた。その教え子が「先生、私は全学連の議長になりました。安保条約に反対して闘っています」と連絡があったのだという。先生は、そう誇らしげに話していた。それほど、60年安保改定は、先生たちの間でも反対の機運が多かった時代だった。(注:全学連は委員長、副委員長、書記長、書記局によって構成されており議長というポストはなかった)私は、当時、全学連が何かも知らなかったが、白黒テレビに映し出された映像と共に、強烈な記憶として残っている。まさか数年後、自分が全学連の指導的立場に立つなど微塵も思ってはいなかった。

私は、先生の正義と熱血を絵に描いたような授業が好きだった。先生の授業は魂を揺さぶり、クラスからは多くの有為な人材を排出した。同級の2人は大学教授になり、そのうちの一人は、院内感染の世界的権威になった。時折、地元の信濃毎日新聞に執筆している。それと、クラス憲法も作った。中学生が憲法を作ったなんて世界の歴史にもないことだと思う。このときの議論を今でも覚えている。戦争の放棄核の是非である。その後 東大に入学したもう1人の友人は、戦争抑止力としての核兵器是認論を展開した。私は、核兵器の即時廃棄を主張した。結論は出なかったが、クラス憲法の第9条に、“核兵器廃絶”と書いた。

後に、大学1年生の夏休みだったと思う。中学の同級会が開かれ、久しぶりに先生と会ったとき、マルクスの話をしたことがあった。私が「先生はマルクスをどのように思われますか?」と尋ねたところ、先生は即座に「マルクス主義は科学だ」と強い口調で言い放たれた。私は、このときの印象が強烈で、その後、マルクス主義が人類を救う正しい社会科学なのかを問い続ける青春を送ることになった。

科学は、多くの技術革新をもたらした。しかし問題なのは、人間の内部に潜んでいる制御できない規範のない現象と行動を科学することにあるのではないかと思う。このままでは、人類は何万年たっても宗教や民族・国家間の対立を繰り返し、互いを滅ぼす道を辿ってしまうのではないかと思っている。

チボー家のジャックが叫んだ一説

中学2年生の60年安保のその年だったと思う。母が新聞を持ってきて、「この本はノーベル賞をとった本だから」と言って新聞の広告欄を見せてくれた。「チボー家の人々」だった。白水社発行の全5巻の大作で、見出しをめくっていくと、第一次世界大戦前夜のフランスが舞台で、第5巻になると戦争前夜の決定的な場面になることが判った。小遣いを貯め、秋頃になって第5巻を購入し、押し入れに籠って読んだ。
なぜ押し入れかというと、私の部屋は、嫁入り前の叔母さんと同じ部屋で、父が軍隊から持ち帰ったカーキ色の毛布をカーテン代わりに仕切った机一つだけの小さなスペース。寝床は押し入れ、闇市から拾ってきたようなクリップが付いた裸電球のスタンドで読んだことを覚えている。 

以下は「チボー家の人々」第5巻より。
1914年、第一次世界大戦が避けられない状況下で、チボー家のジャックが叫んだ一説である。

諸君は聞かされている。

『戦争をさせるものは資本主義だ、国家主義の競争だ、金の力だ、軍需工業家だ』 と。だが諸君、考えてみたまえ、戦争ははたしていかなるものか? それは単に利害関係の衝突なのか? 残念ながらそうではない!

戦争とは、まさに人間であり、また人間の流す血潮なのだ!
戦争とは、動員され、たがいに戦いあう国民なのだ! 国民にして動員をこばみ、国民にして戦うことを拒否するとき、あらゆる責任ある大臣たちは、銀行家は、企業家は、軍需工業家は、戦争を引きおこすことができないのだ!

大砲も小銃も、撃つ人なしには撃てないのだ! 戦争には兵士がいる! そして、資本主義が、こうした利益と死との事業のために必要とする兵士、それこそわれらにほかならないのだ!

いかなる法律の力も、いかなる動員令も、われらなしには、われらの承認なくしては、われらの受入れ態勢なくしてはあり得ないのだ!

シリーズ目次

プロローグ
はじめに
シーズン1:1947年  
敗戦、帰還船、ビルマの竪琴
シーズン2:1960年  
60年安保、チボー家の人々
■ シーズン3:1962年 
松本深志高校、格闘家型剣道、宿題はマルクス、「渚にて」強行上映
シーズン4:1965年 
青雲の志 中央大学 学生運動
■ シーズン5:1966年 
全中闘委員長、全国初学生単独管理学生会館獲得
シーズン6:1967年 
成田空港公団現地事務所 突入総指揮、羽田
シーズン7:1968年
中大学費値上げ白紙撤回、10.21防衛庁突入
シーズン8:1969年
赤軍派に参画
シーズン9:1970年
3月31日よど号ハイジャック「 北朝鮮?!」
■ シーズン10:1970年
北朝鮮行きに反対した私が共同正犯/黒幕として起訴された。
謀議に参加しておらずアリバイもあったため裁判闘争スタート
■ シーズン11:1975年
獄中への一通の手紙
■ シーズン12:1984年
高裁、最高裁で謀議当日の私のアリバイは認められるも有罪判決確定。
プリズン留学12年、刑務所改革、提案制度、
房内所持書籍10冊・ノート3冊権獲得
■ シーズン13:1987年
早期仮釈放嘆願10万人署名 仮釈放内示、
大韓航空機爆破事件仮釈放取消
■ シーズン14:1989年
満期出所、友人たちがバスで出迎え、松本帰還
■ エピローグ