社長からの手紙

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シーズン5|1966年 全中闘委員長、全国初学生単独管理学生会館獲得

2025.04.15 2025.08.23

大学2年の夏には自治会委員長 になった。 中大では5月から6月にかけて全学部で自治会委員選挙が行われ る。自治会委員、中央執行委員 、委員長、副委員長 、書記長が選出される仕組みになっていた。どういう 理由からか、選挙の前から 先輩たちから自治会委員長をやれとプレッシャー を掛けられていた。

3月に19歳になったばかりの若造である。世界のことなどほとんどわかっていない 。さすがに逡巡したが、自治会委員選挙で自治会委員 、中央執行委員に 選出されてしまった。 剣道をやっていたことから、他の友人たちよりも強そうに見えたらしい。委員長にされてしまった。望んでなった訳ではなかったが、さすがに勉強しなくてはならなかった。 それと、問題は父母に納得してもらわなくてはならない。夏休みに帰郷して説得した。しかし、了解はもらえなかった。

そこで、私が とった選択は「親子の縁を切ってくれ! 仕送りもしてくれなくて結構!」と言い捨て大学に帰って来てしまった のである。親に迷惑をかけることは承知していた 。切なかった。アパートも直ぐに引き払ってしまったため、親もどこに仕送りをすれば良いか分からず に途方に暮れていたはずである。

最初は困ったが、学生会館ができれば、そこに住めるという判断があった。食料はバイトと、デパ地下の試食めぐりで食い繋ぎ、中野にあった信濃寮や大学の代々木寮に居候すれば何とかなる。

それでも9月には、最初の中央執行委員会で、委員長方針のアジテーションをしなければならない。何といっても大学2年になったばかりである。 友人たちも 私がまともにできるか不安に思っていただろう。にわか勉強で、 近現代史やマルクス 入門書、戦後学生運動史を叩き込み 、学生会館の管理運営権獲得の12月バリスト 方針について、 原稿なしで2時間超の大演説を行った。

中執メンバーの驚愕の表情が面白かった。日本共産党 /民青もいたし、右翼も社青同も、民学同も革マルもいた。迫力と胆力、内容の濃密さ と不条理への闘争心、義心を煽る 狂気のアジテーション で圧倒したのである。剣道の大将戦のように、正面から攻め立て恐怖で凍え上がらせ 、空気を斬り裂けば良いのである。いつも通りやっただけのことであった。

ところが、「前田のアジテーションはスゴイ」という評判が立った。 しばらくして、中央大学新聞が取材に来た。中大商学部で委員長になったのは、私が3人目だと言うのである。言うまでもなく、中大の看板学部は法学部であり、次いで商学部であった。他の2人は誰だと聞くと、1人目 は、SUZUKIの鈴木 修さん、2人目は、セブンイレブン (当時はイトーヨーカ堂) の鈴木敏文さんだというのである。 スゴイ人が中大の先輩だったことに驚いたが、戦後直後の時代とは自治会の役割も全く違うから「単純に比較するようなことはするな 、我々の役目は、 二度と戦争を起こ させないために何をすべきかにあるはずだ」と主張した。

2年の12月には、 いよいよ全国で初めての学生単独自主管理学生会館獲得のための バリストをやらなければならない。 学生会館の建設図面は、我々学生が起案して突き付けた 。その地下には、資料室という名前のよく分からない 部屋があって、ドア1枚 で生協食堂のキッチンに繋がり、風呂もあって、いざと言うときの非常脱出口まで備えた「秘密基地」 があった。

国家権力にも大学にも存在を知られずに使える「秘密基地 」があったらスゴイだろうなと考えたのである。そのためにも、何が何でも、学生が自由に使えて学生が自主管理する学生会館を獲得しなければならな かった。

加えて、我々はストライキに協力する部活には、学生会館内に部室を与えるという誓約書を作った。当たり前のことであるが、学館内に非協力的なグループが入居していたら、毎日が内ゲバである。右翼や日本共産党・民青を排除する狙いがあった。 そしてもう一つ注力したのが協力的だった体育連盟の剣道部、相撲部と折衝し、学館に体育連盟の部室を提供することを密約したのである。 実際、剣道部と相撲部 は学費値上げに反対だったし、我々にシンパシーを感じてくれていた。学費値上げ反対闘争の時には、我々 に味方すると約束してくれていたのである。

実際、体育連盟の部室を学館3階に確保する図面を見せたので体育連盟が我々の味方になった。これだけでも拍手喝采ものだと思う。たぶん全国の大学でも初めてのことだったと思うが、これで体育会が大学と組んでスト破りに回る道を断ち切った。委員長の私が、学術系ではなく体育会みたいなキャラであり、最大の理解者であったからである。

9月か10月頃だったと記憶している。2号館地下の自治会室から出てきたときのこと。10人位の人相の悪い連中に囲まれた。瞬間、 ヤバイと思い、正面の数人を倒して突破しようと殴りかかった。その瞬間、脳天を斬られた。 真後ろからの打撃であったため反射的に振り返った。 白鞘の日本刀を持った白装束の男が仁王立ちで立っていた。反射的に殴りかかったが、頭から真っ赤な血を噴き出し、その場に倒れた。

意識を取り戻したのが、4日後の病院のベッドの上。4日間、意識を失ったまま生死をさまよっていたというのである。誰にやられたのか? 白鞘の日本刀で切りかかるということは、どう考えても右翼である。中大の右翼は○○党青年部で生協を巡って日常的にぶつかっていたから、彼等のバックにいるゴロツキかプロの仕事人かもしれない 。しかし見たことのない顔だったしそれ以上は分からない。大学構内で発生した殺傷事件であることから、 警察に被害届けを出したら大学内の捜査をされる。そんなことはさせられない。結局、1ヶ月ほど頭に包帯を巻いていたが父母にも連絡しなかった 。これで1回死にそこなった。

もう1回は、日本○○党地下秘密組織である。中大中庭で100名以上の日本○○党学生部隊と正面衝突したことがある。衝突しようとした瞬間、最前列の学生部隊が突然左右に分かれ、後ろに隠れていた日本○○党 地下秘密組織と思われる数人が銃を構えて私に発砲して来たのである。その瞬間、身を翻して地面に伏せた。 何発か音が聞こえた が弾が当たった感触はない。 必死に中庭の外階段を駆け上がって校舎内に逃げた。明らかに私を狙っている 。他にも、全国生協大会では、屈強な日本○○党労働者部隊に、我々は 木端微塵に叩き潰された。

日本○○党の地下秘密部隊 は、警視庁機動隊以上の筋金入りの軍隊を思わせた 。 休んでいる暇はない。12月になるとクラス単位のスト権の50%以上を確立し、全学のストライキ権を確立した。 ただちに全学中央闘争委員会(全中闘)を組織し、私が全中闘委員長に就任し 全学ストライキに突入した。

大学をバリケードで封鎖し、 毎日炊き出しを行い、毎日が学生大会、 毎日が自主講座、毎日が大学を被告に見立てた裁判である。 総長に「被告席」に 座るよう要求し、学生の要望を真摯に受け止め 、学生自主管理の学生会館を承認するよう要求した。それこそが、自治能力の高い人材を育成し、中央大学の評価を画期的に高める巨大な力になると力説した。 大学の教授の何人かも我々の要求に理解を示してくれた。 総長団交の場で労働法の最高権威と言われていた教授が、我々の主張を援護してくれたのである。 そのことも大きかったのかもしれない。ついに総長が我々の要求を呑んだのである。

年が変わり、学生会館の工事が 竣工した。学生単独自主管理の学生会館であることから、我々は学館への 学生単独入館に拘っていた。問題は、大学側が保管している玄関、部室等の鍵がどこに保管されているのか。様々なコネを使って鍵束の在処を見つけ出した。強行入館の㊙日程を決定し、誓約書に署名してくれた部活と強行入館 /討ち入り?を決行したのである。こうして学生が自主管理し、国家の不正と不条理を弾劾する最先端基地として中大学館が機能し始めた。わかりやすく言うと、私の秘密基地が東京のど真中にできたのである。

娘がChatGPTで作った学生の頃の私のイメージ

シリーズ目次

プロローグ
はじめに
シーズン1:1947年  
敗戦、帰還船、ビルマの竪琴
シーズン2:1960年  
60年安保、チボー家の人々
シーズン3:1962年  
松本深志高校、剣道、キューバ危機、宿題がマルクス、「渚にて」強行上映
シーズン4:1965年 
青雲の志 中央大学 学生運動
シーズン5:1966年
自治会委員長、全中闘委員長、全国初学生単独管理学生会館要求バリスト
シーズン6:1967年 
佐藤首相ベトナム訪問阻止羽田空港突入!中大学費値上げ白紙撤回バリスト
シーズン7:1968年
新東京国際空港:成田は経済効率最悪/豊穣農地破壊! 東京湾上に作れ!
成田空港公団突入総指揮/逮捕、防衛庁突入総指揮/逮捕
シーズン8:1969年
6月保釈出所、7月共産主義者同盟分裂:赤軍派を除名
7月共産主義者同盟学対部長、9月共産主義者同盟離脱/赤軍派に合流
11月武装蜂起部隊全員逮捕、主力部隊壊滅
シーズン9:1970年
1月中央人民組織委員会委員長、基盤人材獲得全国長征/長征軍隊長
2月政治局北朝鮮方針に反対
反対派多数戦線離脱、3月15日最後の逮捕
シーズン10:1970年
3月31日よど号ハイジャック発生!
逮捕、「不起訴の約束」は反故、起訴、投獄
シーズン11:1971年
獄中への一通の手紙
シーズン12:1984年
最高裁で謀議当日のアリバイが証明された。しかし判決は有罪、下獄
監獄改革、獄中の狂詩曲
■ シーズン13:1989年
早期仮釈放嘆願10万人署名/仮釈放内示、大韓航空機爆破事件(金賢姫)発生
仮釈放取消、プリズン留学12年満期出所、松本帰還
■ エピローグ