私たちの中学時代は、焼け跡の匂いが、なお色濃く残っていた時代だった。折しも、中学2年の時、日米安保条約改定を巡り、日米安保条約を堅持すべきか否か、国論を二分する対立が発生していた。5月20日の衆議院で強行採決がなされると、反対運動が盛り上がり、6月15日には、デモ隊が国会を包囲し、機動隊との衝突で東大生の樺美智子さんが死亡したとのニュースが報じられた。丸の内中学では、昼休みに校内放送があり、生徒にも、しっかり聞くようにとの指導がされていた。その校内放送で安保改定を巡るニュースが連日放送されていたのである。
確か大学 1 年の時、中学の同級会が開かれ、久しぶりに先生に会った。当時、私はマルクス主義についてよく分からないという意識があり「先生はマルクスをどう思われますか」と尋ねてみた。先生は即座に「マルクス主義は科学だ」と言い放った。イデオロギーでも空想でもないということだ。サイエンスであるなら真面目に勉強する価値があると思ったので、この言葉は私に強烈に作用し、はたしてマルクス主義は人類を救う正しい社会科学なのかを問い続ける青春を送るきっかけとなった。
科学は多くの技術革新をもたらしている。それは進歩と呼ばれている。しかし、人類は民族、宗教、国家など、さまざまな対立構造を生んでは戦いを止めることができずにいる。このままでは互いに滅ぼしあう道を辿ってしまうのではないかと危惧せざるを得ない。人間の内部に潜む負の欲望や感情と行動を制御する科学こそ求められているのではないかと思う。
医学の分野に進んだ同級生に太田美智男がいる。東大を卒業した後、名古屋大学医学部を受験して卒業し、院内感染の世界的権威になった。NHKスペシャルで特集が組まれる程、著名なドクターである。そんな優秀な友人たちを相手に議論していたのである。中学の同級会は継続している。私が松本に戻ってからは、私が幹事をするようになった。塩沢先生の告別式の弔辞も私が述べた。私の中で先生はずっと生きている。
そうした混乱の時期、先生が、伊那の中学に赴任していた時の教え子から電話がかかってきたと言って話をされた。その教え子が「先生、私は全学連の議長になりました。安保条約改定に反対して闘っています」と連絡があったと話された。先生は、その話を誇らしげに話していた。それ程、60年安保改定は、先生達の間でも反対の機運が多かった時代だった。私は、当時、ゼンガクレンが何かも知らなかったが、白黒テレビに映し出された映像と共に、強烈な記憶として残っている。まさか数年後、自分が全学連の指導的立場に立つなど微塵も思ってはいなかった。
中学2年の60年安保のその年だったと思う。母が新聞を持って来て、この本は、ノーベル賞をもらった本だからと言って新聞の広告欄を見せてくれた。『チボー家の人々』だった。白水社発行の全5巻の大作で、本屋に行って、見出しをめくっていくと、第一次世界大戦前夜のフランスが舞台で、第5巻になると戦争前夜の決定的な場面になることがわかった。小遣いを貯め、秋頃になってから第5巻を購入し、押し入れにこもって読んだ。
なぜ押し入れかと言うと、私の部屋は、嫁入り前のおばさんと同じ部屋で、父が軍隊から持ち帰ったカーキ色の毛布をカーテン代わりに仕切りにした机一つだけの小さなスペース、寝床は押し入れ、闇市で拾って来たような裸電球のスタンドで読んだことを覚えている。
『チボー家の人々』第5巻。1914年、第一次世界大戦が避けられない状況下で、ジャックは戦争を回避するために何をなすべきか熟考を重ねていた。辿り着いた最後の希望が、独仏国境の前線に運ばれて行く両軍の兵士に、飛行機から「銃を捨てろ!人を殺すことを拒むんだ!」と二か国語で書いた大量のビラを撒き、両軍の兵士たちに、人に銃を向け、人を殺すことの愚かさを、極限で思いとどまらせ、銃を捨てさせる!最後の可能性にジャックは懸けた。以下は、ジャックがビラに込めたメッセージである。
諸君は聞かされている。
『戦争をさせるものは資本主義だ、国家主義の競争だ、金の力だ、軍需工業家だ』 と。だが諸君、考えてみたまえ、戦争ははたしていかなるものか? それは単に利害関係の衝突なのか? 残念ながらそうではない!
戦争とは、まさに人間であり、また人間の流す血潮なのだ!
戦争とは、動員され、たがいに戦いあう国民なのだ! 国民にして動員をこばみ、国民にして戦うことを拒否するとき、あらゆる責任ある大臣たちは、銀行家は、企業家は、軍需工業家は、戦争を引きおこすことができないのだ!
大砲も小銃も、撃つ人なしには撃てないのだ! 戦争には兵士がいる! そして、資本主義が、こうした利益と死との事業のために必要とする兵士、それこそわれらにほかならないのだ!
いかなる法律の力も、いかなる動員令も、われらなしには、われらの承認なくしては、われらの受入れ態勢なくしてはあり得ないのだ!
大量のビラを積み込んだ飛行機は飛び立った。しかし、間もなく国境というところで、突然、機体が大きく揺れ、錐を揉むように地上に落下し激突する。燃えるような硝煙と共にジャックは砕け散った。
一枚のビラも撒かれないままに。少年の胸に焼け焦げたナイフが突き刺さり、その後の人生のターニングポイントになった。
(シーズン3につづく)
■ プロローグ はじめに |
■ シーズン1:1947年 敗戦、帰還船、ビルマの竪琴 |
■ シーズン2:1960年 60年安保、チボー家の人々 |
■ シーズン3:1962年 松本深志高校、剣道、キューバ危機、宿題がマルクス、「渚にて」強行上映 |
■ シーズン4:1965年 青雲の志 中央大学 学生運動 |
■ シーズン5:1966年 自治会委員長、全中闘委員長、全国初学生単独管理学生会館要求バリスト |
■ シーズン6:1967年 佐藤首相ベトナム訪問阻止羽田空港突入!中大学費値上げ白紙撤回バリスト |
■ シーズン7:1968年 新東京国際空港:成田は経済効率最悪/豊穣農地破壊! 東京湾上に作れ! 成田空港公団突入総指揮/逮捕、防衛庁突入総指揮/逮捕 |
■ シーズン8:1969年 6月保釈出所、7月共産主義者同盟分裂:赤軍派を除名 7月共産主義者同盟学対部長、9月共産主義者同盟離脱/赤軍派に合流 11月武装蜂起部隊全員逮捕、主力部隊壊滅 |
■ シーズン9:1970年 1月中央人民組織委員会委員長、基盤人材獲得全国長征/長征軍隊長 2月政治局北朝鮮方針に反対 反対派多数戦線離脱、3月15日最後の逮捕 |
■ シーズン10:1970年 3月31日よど号ハイジャック発生! 逮捕、「不起訴の約束」は反故、起訴、投獄 |
■ シーズン11:1971年 獄中への一通の手紙 |
■ シーズン12:1984年 最高裁で謀議当日のアリバイが証明された。しかし判決は有罪、下獄 監獄改革、獄中の狂詩曲 |
■ シーズン13:1989年 早期仮釈放嘆願10万人署名/仮釈放内示、大韓航空機爆破事件(金賢姫)発生 仮釈放取消、プリズン留学12年満期出所、松本帰還 |
■ エピローグ |